ふと父を思い出す。。。

楽種工房 kiyo

2010年08月28日 16:43

こんちは〜♪

何だかだるいくて眠い。。。ってか寝てたし

お客さん来てなかったかな。。。。


さて、8月22日は父の命日でした。

父は幼少期を神戸や満州、北海道などで過ごし。。。

その後家族に仕送りする為に10代で東京に出て来たのですが、

粋がってリーゼントなんかにしちゃって、無免許でバイクを乗り回してた事もあったみたい。





※写真は借り物です



本当はバイクの修理工になりたかったみたいだけど、その頃はまだバイクが出回ってなくて

職が無かったんだって。

父は基地の中のレストランのシェフとして働いてたみたいなので、よく分からない英語でアメリカ人と友達になって、

バイクを借りて乗り回してたらしいのだ。

その後渋谷のレストランで母と出会って結婚したわけだが、

姉が産まれた頃のモノクロの写真にはバイクが写ってた。

「あれ?お父さんバイクの免許無かったよね?何でバイクがあるの?」と言うと

「友人からバイクを譲ってもらったんだ。無免許で乗ってきたわけよ」

「はいっ???」

「バイクの免許を取るのにお母ちゃんにずっと反対されてたから、もうバイクを買ってしまえば諦めて
 免許を取ってもいいと言ってくれると思ったんだけどダメだった。。。。チッ!」

その手口はまるでガキ。。。。

 「で、仕方無くバイクを手放したんだ。あれはいいバイクだったのに。。クソー!!

「だってお父さん、お酒飲んで運転するじゃない!ダメよ絶対!!」

「はいはい、そうですね、お母ちゃんはパパの事心配してたんだよね、でもな清子、本当に良いバイクだったんだぞ!」

して、こんな事まで言いやがった。。。。

「バイクなんてな、免許なんかいらないんだ!乗れればいいんだ!お前カミナリ族って知ってるか?パパは早かったんだぞー!!」

。。。。。。知らなかった。あんたそういう男だったのか。普通に青春してたんだね。

こんな話は私が大人になってからしたわけで、

「まだまだお前達には言えない過去がパパにはあるんだ。言っちゃおうかな。。。♪」

「お父さん!やめなさい!!」

と母に怒られてましたが、一体何をしでかしたのやら。。。。(笑)


父は大酒飲みではありましたが、家族に大変迷惑もかけましたが、それでも家族の為に

フランス料理の料理長として定年退職するまで頑張って働いてくれました。

いつでも弱いものの味方で、労働者組合を作ったりして出世は出来なかったし、

フランス店で働いて欲しいという本社の辞令も行きたく無いという母の為に断念し。。。。

行ってたら私ら姉妹はパリジェンヌだったのによ。。。。


それでも人柄が社長に気に入られて、社長がハワイ島に療養に行く時に、シェフとして一緒に行く事になった。

見た事もないでかいリムジンがボロいマンションの前に止まり、迎えに来たのを覚えている。

小さい父が黒いリムジンに乗って小さくなって行くのを見送ったけど、

いつも家で飲んだくれてる父が、職場では凄い人なんだと初めて実感した時であった。

私が母だったら、フランスにも一緒に行ってたし、父の夢について行ってたと思う。

母を責めてるわけでは無いが、母も理由があったとは思うが、父の夢を叶えてあげたかったな。。。

そんなわけで父は私が自由奔放に生きる事にいつも賛成してくれてた。

私が中型のバイクの免許を取ってバイクを新車で買った時、

「後ろに乗せてくれ」と言って一度だけ乗せた事があった。

あの時の父の嬉しそうな顔は忘れられない。

そしていつものセリフ「あ〜あ、お前が男だったら良かったのに」

。。。。女で悪かったな

そんなおバカな親子のエピソードでした。

父ちゃん、天国で何してるばぁ〜?

。。。ああ、またがはがは笑ってる顔が目に浮かぶ。う〜と〜と〜



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